2003年5月25日(日)
午前3時に目覚ましが鳴る。 眠い。外は真っ暗で起きる気がしない。しかし仲間を待たせるわけにもいかず、サイクルパンツのパッドに股ずれ防止クリームを塗ったり、脚にオイルを塗ったり、何かとやることは多い。
外に出ると、結構寒く感じる。梅雨入り前の、暑くもなく寒くもない時季を狙っての、一種無謀な長距離サイクリングの幕開けである。夏用薄手の生地の長袖ジャージにウインドブレーカーを羽織り、下はレーサーパンツにニーウオーマーを着ける。 眠気をひきずりながら外に出るも、待ち合わせの午前4時に間に合いそうにない。その旨、助さんに電話(ガラケー)で連絡を入れる。
夏至に向かって日が延びているとはいえ、まだ真っ暗だ。バイクの前後につけたLEDのランプで存在をアピールする。
武蔵境通りを南下し、調布の旧甲州街道に出ると、こんな時間にロード乗りを発見?こんな時間にいったい誰だろう?
いや、それはほかでもない旅のパートナー助さんとばったり遭遇した瞬間であった。なんという偶然だろう。合流直後にコンビニで補給食を買い込み、一路西へ。
多摩川沿いを遡上していくと夜が明けてくる。最短ルートの国道20号を避け、あえて裏ルートの野猿街道から津久井湖経由で行くことにしたものの、アップダウンが結構あって脚を使ってしまう。
この区間、最短でかつ勾配が緩い国道20号を行かなかったのは失敗かもしれない。 この時間だったら、国道も交通量は少なかったと思う。
相模湖の手前、寸沢嵐(すざらし)のコンビニで休憩、補給。6時10分、自宅から47km。梅オニギリとブラック缶コーヒーで軽く気付け。
コンビニの駐車場では、これからキャンプにでも行くのか、若い男女たちがクルマで乗り付けて楽しげに語らっている。 これから数百キロの距離を自分の脚で稼がなければならない悲壮感が漂うおやじたちの旅立ちとは対照的である。
相模湖駅前から本来のルート・・国道20号線に戻り、ひたすら西へ歩みを進める。
ここは助さん先導で結構飛ばしていく。国道もこの時間は交通量も少ないので至極快適である。道は山間部を通り、大月市街に出る。朝日を背に受けてひたすら西へ。空はうす曇、暑くも寒くもない快適な気候だ。
大月インターの先のコンビニで、予定通り二度目の休憩。7時45分、83km。助さんが股ずれ対策にとニベアクリームを買う。たしかに、長い距離のサイクリングでは、ちょっとした擦れやあたりがつらい。私も分けてもらってパンツのパッドにべったりと塗り、股ずれの対策を取る。 ここでもオニギリを二個摂取。まだ胃腸がちゃんと機能しており、食欲がある。
大月の市街を抜けると山がさらに深くなり、笹子峠に向けて緩い登り。私が前に出て引いたところ、少々がんばりすぎたらしくへばってくる。そのためできれば新道(国道20号)の笹子トンネルで楽をしたかったが、新道といいながらも、笹子のトンネルは古い構造で、幅が狭く圧迫感があり、交通量も多く、そもそも自転車や歩行者の通行を考慮していないような構造であり、出来れば自転車で通りたくない道である。そこで、ここは旧道を通ることにする。
私は信州で生まれ、幼少の頃に親の仕事の関係で東京と信州を行ったり来たりした後、埼玉や東京で育った。そんなわけで東京と信州の間は何十回、いや何百回とクルマやら電車やらで往復しているはずだが、徒歩で、信州と江戸を往復したことはない。よってこの旧道を通るのは生まれて初めてだ。
国道からの 分岐を左に入るとひなびた感じの峠道。路面の状態はそんなに悪くなく、勾配もきつくない。やや本格的な登りが30分ほど。木々の間の快適なクライミングだ。汗がにじんでくる。
山頂の真っ暗なトンネルを越えると笹子峠である。ここで休憩。9時30分、102km。