八ヶ岳中信高原国定公園の美ヶ原・王ヶ頭は、地元の山で何度となく登っています。雪山の足慣らしにと思い、2015年の1月下旬に私はひとり王ヶ頭を目指しました。
当時私は、外資系医療機器メーカーでIT管理者をしていました。仕事で追い込まれていたとも言えます。今にして思えば、現実逃避をしたかったのかもしれない。
一枚目の写真は松本市本庄のFM長野本社前。雪が大量に残っています。そうです。私はこの日、地元の山に登りがてら、知人宅を訪れる・・という計画を立てていました。しかし、そうするのであれば、朝一番、午前7時くらいに登り始めないと間に合わない。にもかかわらず行動開始が遅れて、計画が破綻していました。本来であれば、宿を出る時点でそのことに気づくべきでしたが、私は、そのことにまったく気づかず、破綻したまま計画を進めてしまうことになります。
前日、2015年1月23日金曜。勤務先を午後半休します。
目黒でカウンセリングを受けます。当時私の仕事はうまくいっていませんでした。とくに職場内の人間関係は良好なものではありませんでした。
その後、丸の内セイコー(腕時計)のサービスセンターへ行き、腕時計の修理を依頼。
17:30ころ 帰宅し、しばし仮眠
19時ころ起床。支度をして22時15分 自宅を出ます。自家用車で、調布インターから中央道で松本を目指します。
翌24日土曜 午前1:42 長野道の松本インターチェンジ通過。
国道沿いのコンビニで寝酒と朝食のカップめんを購入。その際に松本市内に向かう国道沿いのコンビニの駐車場に思いのほか雪が多くて驚きました。長野県でも中信地方の松本は、冬の間も晴天の日が多く、1月でも市内に積雪のあることは珍しいというのが、松本で育った私の認識です。
実は数日前にいとこに「山は雪が降って大変」と聴いていたので、雪についてはある程度覚悟をしておいてしかるべきだったのに、その備えさえなかった。
そして、コンビニで買い物を済ませた私は午前2時過ぎに宿に入ります。風呂に入り、就寝。下の写真のタイムスタンプが午前3時過ぎですから、寝たのはおそらくそのころでしょう。
そんなこんなで上り始めが遅くなりすぎました。三城(さんじろ・登山口)でクルマを停める場所を探すのに手間取り、歩き始めが11時を回っていました。いくら勝手知ったる地元の山とはいえ・・。夏山でさえ、午前7時には上り始めているというのに。より日が短い冬山で4時間ロスしたら、行動できないのも同然ですよね。
さらに悪いことに、前の週に降った大雪で夏道が埋もれてルートが良くわからないのです。たしかに松本在住の知人から「松本は雪が降ったから山は大変なことになっているよ」と聞いてはいました。しかし、その忠告を甘く見ていました。
あろうことか、そもそも登山口がわからない。夏にはありえないことです。登山者用の駐車場に停めて、そこから道なりに歩いていけば頂上に着く。ところが冬の山はそんな甘くはないのでした。
困り果てて、登山靴を履いて扉峠に抜ける道を行ったり来たり。道端で子供をそり遊びさせているご婦人に聞くと
「ああ、みんなこのあたりから山に入っていくみたいだけど・・」。
すでに三城についてから1時間近くのロス。そこから、前に上っている登山者の足跡をトレースできると思ったのですが、登山口である「いこいの広場」から2.5kmの地点で、雪の深さはすでに腰くらいまでありました。カンジキは持っていましたが、浮力が足りない。潜って潜ってなかなか進みません。まさか、美ヶ原でラッセルをすることになるとは・・
汗だくになってラッセルをしながら、前の登山者の足跡をたどりつつ登っていくと、そのうちに、下山してくるスノーシューを履いた登山者から
「今日は上で泊まりですか?」
と聞かれる始末。美ヶ原は山頂に通年営業の宿があるので、そこに行くのかと聞かれたわけですが、私は「いや、日帰りです」とこたえますと、「そろそろ下ったほうがいいですよ」と。
たしかにね。夏山じゃないのですから。15時には行動を停止してテント設営するなり、下山口に戻るなりするのが、冬山の作法です。忘れておりました。
それでも、せっかく山の景色を撮ろうと思って、一眼レフを担ぎ上げたんだからと、粘って山頂をめざしましたが、作業小屋に続く作業道に迷いこんで30分のロス、登頂(というか、美ヶ原は台状の溶岩台地なので、頂という趣ではないですが・・王が頭、王が鼻には三角点だか、山頂の標はありますけども・・)はあきらめ、西の御岳方面が見渡せるあたりで13:59、撤退を決めました。ガスコンロも持ってきたのですが、お湯を沸かす気力さえなく、行動食を口に押しこんでそそくさと下山開始。
あわてているときはろくなことはありません。(というのか時間の感覚が麻痺しているというか、時間が管理できていませんでした。)
今回の登山の失敗は数知れず。カンジキを入れる袋を上りで落としてきたらしく、親切な登山者の方が拾って木の枝にかけておいてくれたのを下りで発見。ああ・・・今日の俺はホントにダメダメだわと、遅まきながら悟りました。
そんなこんなで下りでも何度か道に迷いながら、どうにか日没直前の16:30ころ、三城に到着。「そろそろ下ったほうがいいですよ」と声をかけてくれた方は、埼玉の高麗川と熊谷の方でした。あのとき、お二人に声をかけてもらっていなかったら、どうなっていただろうと思うとぞっとします。
実は、その日の15時ころに松本市内の知人宅を訪問する、16時ころに同じく市内の霊園そばの石材店に立ち寄る・・・なんてアポイントまで入れていたのです。まったくどうかしています。15時に訪れると伝えた知人は
「遭難したと思った」
と。
実際知人宅に着いたのは18時ころ。石材店の閉店が17時とかでそっちを先にしてしまったからなんですが、いまだに、知人のお子さんには「カクさんは15時に来るって言って、18時半に来たよね・・」と言われる始末。沖縄の待ち合わせや会合で、ウチナータイム(沖縄の時間)とかいって、時間通りに始まらないことの表現だそうですが、この日の私の行動は、ウチナー時間どころのさわぎではありません。いい歳して、ひと様に心配をかけて、まったくもってお恥ずかしい限りです。
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